【企画概要】
「旅する、千年、六古窯 火と人、土と人、水と人が出会った風景」関連イベント
日時:2019年1月12日(土)
第1部 ガイドツアー 13:00 – 15:00
会場:1 立杭 陶の郷 丹波立杭焼伝統産業会館
2 兵庫陶芸美術館
案内役:高橋孝治(六古窯日本遺産活用協議会 クリエイティブ・ディレクター)、マルテル坂本牧子(兵庫陶芸美術館 学芸員)
第2部 トーク「丹波」 15:30 – 17:00
会場:archipelago(http://archipelago.me/)
出演者:今西公彦、内田鋼一
進行:高橋孝治
2019年新春、本展は六古窯のひとつである丹波焼の中心的な産地、篠山市立杭(現・丹波篠山市立杭)へ巡回しました。1月12日には関連イベントとして、本展と兵庫陶芸美術館の企画展「内田鋼一展 -時代をデザインする-」をあわせて観賞するガイドツアー、さらに本展出品作家の今西公彦さんと陶芸家・内田鋼一さんによるトークを開催。
会場に集まった出展作家や地元・篠山市の方々によりさまざまな意見が交わされ、いまだ多くの謎に包まれた丹波焼を紐解きながら、私たちの生活とやきものの関係を再考する一日になりました。
前回に引き続き、第2部の様子をレポートします。
日本人とやきものの関係性
「全国どこを見ても産地があるくらい、日本は陶芸が盛んな国。やきものに対する日本特有の価値観というものもあるのでしょうか。」進行役を務めた高橋孝治の問いかけから話がはじまった。
無数のやきものの産地があり、そのどの産地の陶工も生計を立てられているという日本の状況は、世界的に見ても特異な例であると、内田さんが語り始めた。
世界の窯業地を目にしてきた内田さんによれば、各家庭に個人の持ちものとしての器があるのは、日本くらい。
例えば、ご飯茶碗なら、多くの家庭で、お父さんのもの、お母さんのものと、銘々の食器が決められている。さらに、おせち用、カレー用といった、料理に対しての専用食器さえある。
それは陶器だけに言えることではなく、磁器・漆器・ガラス・鉄器など、それぞれの特性を理解して、使い分けられている。しかも、個々人がその好みを語るのが、日本人と器の付き合い方だ。
「ヨーロッパでも、カフェオレボウルなら使用者が決まっている場合があります。おそらく、器を手に持ち、口に当てて食事をすることにより、自分の器という認識ができあがるのではないでしょうか。
中国や韓国でも、器を手に持つことはありません。日本人は器を手に持つから、器が好きになる。幼少期から知らず知らずのうちに、器好きとしての核が育てられていく文化なのではないでしょうか。」と内田さん。
やきものにおける産地の持続可能性とは
そんな日本でも、これまでに多くの産地が淘汰されてきたと3人の話は続く。
産地が淘汰されていく理由は、社会がものの利便性を追求していくことにある。
時代の変遷のなかで、需要と供給のバランスを見極め、生産を続ける糸口を見つけることで、残るべくして残ってきたのが六古窯だ。
たとえば常滑では、白い土こそ採れないものの、よく焼き締まる水に強い性質と、土の黒さを隠すための釉薬の開発からタイルの生産がはじまり、それが衛生陶器の一大産地へと発展していく契機となった。衛生陶器のように市場規模が大きくなると、工芸品のような「産地」という地域性が前に出てくることは少ないが、その背景には土地の恩恵があるという。
これは、産業化することで産地が持続していったモデルであるが、この場合、産業としての発達は見込めるものの、工芸的な側面が損なわれていくという懸念も生じる。
「僕らつくる側は、ただ用途を求めているわけじゃない。用途や効率、流通のしやすさだけを突き詰めていけば、形への厳しさだったり、フォルムだったり、いいなって思える価値観がなくなり、自然界への感度が鈍くなっていく。
産地の持続可能性を考えるには、まずその産地がどのようにして残ってきたのかを、みんなでちゃんと理解していかないと。」
さらに内田さんは、その土地に生まれ、その地で窯業を営む作家たちには、背負うものとしての「産地」があるのでは?と投げかける。
今西さんが答える。
「若い頃は、丹波(焼)をもさいなぁって思ったりしたんですよね。でも、年を重ねるごとに、土地とやきもののことが好きになってくるんです。これはどうしようもなく出てくるものでね、そうなったらもうまっしぐら(笑)」
「言われてみれば、本展に出展していただいた各産地の作家は、その土地の出身者ばかりです。生まれ育った場所で仕事をするということ自体が、何か大きな目的のひとつになるのかもしれません。」と高橋が締め括った。
左/交流会の料理を用意してくれたHOVEL kusayamaのオーナー、伊藤宏晃さん 右/この日のために制作された今西さんの平皿に華やかな料理が並ぶ
終焉、そしてさらなるやきもの談義はつづく
1時間半に及ぶトークを終え、同会場で催された交流会では、今西さんがこの日のために用意してくれたという器にたくさんの料理が並び、地域の人や駆けつけた出展作家たちがさまざまな対話を繰り広げた。
ある参加者は「丹波に住んでいるため、近すぎて見えていなかったものが、今日はじめて見えてきた気がする」と語ってくれた。
出展作家である越前の陶芸家・土本さん夫妻は「六古窯というゆるやかなまとまりが、おおらかで気持ち良かった。美術品や道具といった垣根を取り払い、ものとしての陶芸のあり方を模索できた」と感想を述べた。
左/乾杯の音頭は今西さん 右/和気藹々と夜中まで歓談が続いた
大盛況のうちに幕を閉じた今回のイベント。
「六古窯や丹波焼という、大きな流れの一部として自分が紹介されていくのは、うれしい経験でした。おじいちゃんに会うくらいの感じで、かつての丹波に出合い、その延長線上に僕もいる。値打ちのある展示だったな」と、笑顔で語る今西さんの姿が印象的だった。